生きにくさは宝物
「内側からは君だけにしか見えないのに 外からは僕にしか見えないものはなーんだ」
RADWINPSの「謎謎」という歌の詩である。
自分という存在は最も身近なのにも関わらず,私たちにはそれを客観的に見ることが難しい。悩んでいる時の顔も,笑っている時の顔も,私たちは自分では見えない。そして傷ついて悲しんでいる時も,喜びに満ちあふれている時も,その状態を自分自身では外側から確認しにくい。
あえて「しにくい」と言ったのは,それができるようになることもあるということである。
発達障害の子どもたちや,困難を抱えながら生きている子どもたちと一緒にいながら,彼らには生きにくさもあるが,同時に「個」であり続けられる強さを持ち合わせていることに気付かされることがある。
外側から見られている自分に視点を合わせていくことだけが,社会性ではないのだが,ともすればそのように考えてしまいがちだ。だから,大人になっていくほどに個性は薄くなっていく。目立たないように,はみ出さないように,合わせることを覚えていく。
しかし,生きにくさを持っている彼らは「外側から見られている自分」ではなく「内側から見えている自分」を大事に生きようとしている。いや,そのようにしか生きられないのかもしれないが,それが実はとても苦しいと感じたり,違いに気付いたり,そんな葛藤を抱えていたりする。
だがどうだろう。
生きにくいからこそ感じられる内側の自分。
それこそ,この世に生まれたからには最も慈しむべき存在である。
内側から見た自分が,嫌になってしまうこともあるだろう。だが歌詞はこう続く。
「内側から見たそいつを僕はよく知らないけど,外から見たそいつならよく知っているから半分しか知らないままに答えを出すのはあまりにもったいないから」
人は出会いによって変わる。
内側から見た自分とだけ存分に向き合い,それでもまだ私たちは半分しか知らないのだ。
自分を知ってもらった時に,その半分を知る。
だからこそ,誰かに理解され,一緒に過ごすことでさらに自分を知って生きていく。楽しいと感じられるようになる。そんなことがこの塾で,できたらいいと思う。
それはまさに私が感じてきたことそのものなのだ。
生きにくいからこそ得た,宝物なのだ。
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